|
カテゴリ
以前の記事
公演情報
青春ミステリ「ロストデイズ」 5月9日(金)~25日(日) 赤坂レッドシアター 脚本 米山和仁(ホチキス) 千葉美鈴 演出 毛利亘宏(劇団少年社中) 企画・プロデュース 杉田龍彦(デジタルハリウッド・エンタテインメント) 劇団少年社中 ホチキス DHE (旧デジタルハリウッド・エンタテインメント) お気に入りブログ
最新のコメント
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
≪エピローグ≫
その女の子は「写真を撮らせてください」と言った。 俺が困惑していると、「一年半もあなたを待っていました」と続けた。それから「出会いに意味があると思いますか?」とも。正直、俺は何も答えられなかった。知らない女の子からかけられる言葉としてはディープすぎないか。その後、助教授から呼び出しの電話があって、俺はその場を後にした。振り返ると彼女がまっすぐ視線を向けていた。 俺はポケットに手を突っ込み、紙切れを手に取る。名前と電話番号が書いてある。手帳を破ったものらしく、日付はなぜか2007年だった。先ほど、彼女から渡されたものだ。 電話してみようか? けれど電話で何を話せばいいんだ? タイミングよく携帯が振動し、思わず床に落としてしまいそうになった。 『まさか忘れてないよね?』鈴木からの催促メールだった。 今夜は友人がバイトするピーナッツバーで集まりがあった。忘れてなんかいない。けれどとても騒ぐ気分じゃなかった。俺はたっぷり時間をかけて白衣を脱ぎ、ジャケットのボタンを全て閉めた。窓の外を見ると銀杏の木が風に吹かれて揺れている。お気に入りのマフラーを首にぐるぐる巻きにして、研究室の明かりを消した。 ![]() ――出会いに意味があるかどうか。 それは俺がずっと考えていたことだ。ここ数日、本当にいろいろなことがあった。十年分のいろいろなことがまとめて起こったという感じだ。まるで現実離れした出来事に、心が追いついていない。心だけが俺の体から切り離されていて、浮遊しているみたいだった。 ピーナッツバーの前に着いたとき、終電まで一時間を切っていた。地下へ続く階段の向こうから明るい笑い声が聞こえてくる。なんとなく入りづらい。俺は店の前に止まっていた白い自転車にまたがって、さっきの続きを考える。 ――一年半もあなたを待っていました。 地下のドアが開いた。階段を上ってくる足音が聞こえる。階段を上りきった足音は、俺の隣で消えた。 「河野さん?」 彼女が立っていた。予想外の展開だった。 「どうして?」 「お父さんの代わりです。急遽、仙台に行くって言い出して」 「お父さん? もしかして安井さんの?」 「娘です」 安井さんに娘さんがいたなんて初耳だった。まあ謎に包まれた人だから、あり得ないことじゃないのかもしれない。 彼女は俺の目をじっと見つめて口を開いた。 「それであたし、三時間もあなたを待ってました」 その言葉は硬い心の中に水が染込むように広がった。そんな経験をしたことがなかった。人嫌いな俺にとって、それは奇跡に近い出来事に思えた。それから、俺はなんだか笑えてきた。彼女の目が少女のように無垢だったからかもしれない。 「あると思うよ。出会いにも、別れにも、成功にも、失敗にも、嬉しいことや悲しいことにも、楽しいことにも辛いことにも、意味があると思う」 「……再会にも?」 「もちろん、再会にも」 途端に彼女の笑顔は崩れ、目から涙が溢れて出した。こういうときどうすればいいかなんて俺は知らない。彼女が震えているように見えたから、とりあえず、お気に入りのマフラーを彼女の首に巻いてやった。風邪を引くといけない。けれど彼女の涙は止まるどころか、ますます溢れ出し、その場にしゃがみこんでしまった。 俺はどうすることも出来ず、ただ彼女の隣に座った。 それから俺は、涙の意味について考えてみた。 ≪プリズムリズム≫終わり
5-4
「それでも、撮らせてください」 彼は困り顔をあたしに向けた。 「一年半もあなたを待っていました」 彼は黙り込んだ。 あたしはファインダー越しに彼の顔を見つめる。心は不思議と落ち着いていた。手も震えていなかった。待ちわびた瞬間。けれど心のどこかで怖さを感じた。彼の写真が撮りたかった。それがやっと現実になろうとしているんだ。あたしは心の中にある怖さを必死で追い払った。 右人差し指に力をこめる。 ゆっくりとシャッターが押された。 ――カシャ 乾いた音。一年半ぶりに聞いた音。それはまるで時計の針の音に聞こえた。 あたしは自分の中の止まった時間がゆっくりと動き出すのを感じた。 「さっきの、一年半ってどういう意味?」 彼が尋ねる。説明できない。本当のことを言ったら、嫌われてしまうかもしれない。たった一回会っただけで恋をしたなんて、間違いなく彼はあたしに背中を向けるだろう。 あたしは写真を撮るのが怖かったんじゃない。 写真を撮った後のことが怖かったんだ。 「それは、つまり……」 理由を考えた。彼が背中を向けてしまわない、上手な言いわけを。 その時、白衣の名札が目に入った。 『河野良平』 確かにそう書いてある。 頭が整理できない。 あたしはどうしていいか分からず、空を見上げた。さっきまで空を覆いつくしていた雲の合間に、小さな青空が見える。 心も整理できない。 あたしはどうしていいか分からず、彼を見つめた。秘めておくはずだった想いが、とめどなく溢れ出すのを感じた。 第五話≪彼のプリズム、あたしのリズム≫終わり
5-3
銀杏の木が揺れている。黄色く色づいた葉が落ちると、冬がやって来る。冬は苦手だった。お母さんは麻衣が生まれた冬が好きといったが、あたしはどうしても好きになれない。すぐ風邪を引くし、寒いと部屋を出たくなくなる。でも雪は好きだった。矛盾しているだろうか? あたしは空を見上げた。 どこまでも続く空を灰色の雲が覆っている。今にも雨が降り出しそうだ。 こういう日は早く帰って、お気に入りの小説を読むに限る。 急ぎ足で自転車置き場に向かう途中、懐かしい姿が目に入った。 初めは現実とは思えなかった。これは幻だ。けれどその人が大きなくしゃみをひとつしたので、幻ではないと気付いた。 出会いも別れも再会もいつも突然だ。まるで時計の針が逆周りしたかのように、あの時の記憶がよみがえる。その人は薄汚れた白衣を着て、ただ地面を見つめている。あの時と同じように。 あたしはカメラを撮り出し、ファインダー越しに見つめた。 彼だった。彼に間違いなかった。 彼がゆっくりと顔を上げ、あたしに視線を向ける。目に涙はない。 あたしはカメラを下ろした。一歩一歩、彼に近づいていく。ベンチの前で、あたしは足を止めた。 この日が来ることをずっと待っていた。 「写真、撮ってもいいですか?」 「俺の?」 あたしはこくんと頷く。彼は無表情だ。 「どうして?」 「上手く説明できません」 「写真は苦手なんだ」 「それでも」 あたしは引き下がることなんて出来ない。もしこの瞬間、写真を撮ることが出来なければ、もう一生その機会は訪れないような気がした。
5-2
「そう言えば、そろそろ河野君が来る」 「河野君?」 「ほら、チョコをくれた人。お返しにマフラーをあげた人」 「ああ」 すっかり忘れていた。バレンタインデーに『彼』に贈るために編んだマフラー。めぐりめぐって今はその河野君って人の手元にある。『彼』への想いがつまったマフラーを河野君はどんな顔で身につけているんだろう。 「紹介しようか? どことなく麻衣に似てるんだ」 あたしは少し考えて、首を横に振った。 「お父さん、あたし好きな人いるんだ」 今度はお父さんが少し考えて、首を横に振った。 「初耳だ。付き合ってるのか?」 「まさか。彼とは話したこともない」 「お前は話したこともない人を好きになるのか?」 「自分でもびっくり」 「こっちの方がびっくりだ」 お父さんは傍らに置いてあったプレイボーイを意味もなく開いたり、閉じたりした。 「彼ね、泣いてたの。初めて会った日、っていうか一回しか会ったことないんだけど、泣いてたの」 「……」 「忘れられないんだ」 「麻衣は昔から泣かない子だった。だからその光景が衝撃的だっただけじゃないのか?」 「かもね」 そう言われてみれば、あたしはほとんど泣いたことがない。子供のときも、大人になってからも。感動する映画を見ても、どんなに辛いことや悲しいことがあっても、あたしはほとんど泣かなかった。自分で我慢しているつもりはない。ただ、泣くことに慣れていないんだ。それから泣く姿を人に見せることも慣れていない。心のどこかで自分の感情を抑えているのかもしれない。 「その河野君って人によろしく」 あたしはそう言って、立ち上がった。 「そうだ。今夜は学祭の打ち上げがあるから、遅くなるよ」 「うん。分かった」 お父さんは相変わらずプレイボーイのページをせわしなくめくっていた。何かを考えているとき、落ち着きがなくなるのが、お父さんの癖だった。
第5話(最終話)「彼のプリズム、あたしのリズム」 河野良平編2008年11月×日。
5-1 「どうしてお父さんと結婚したの?」 小さい頃、お母さんに聞いた。するとお母さんは少しの迷いもなく、こう答えた。 「全ての出会いには意味があるのよ。お父さんとお母さんは結婚する運命だったの」 「どうしてお母さんと結婚したの?」 お父さんにも聞いてみた。するとお父さんはしばらく迷って、こう答えた。 「理由なんてないよ。ただそうなっただけだ」 あたしはお父さんの答えに失望した。それからあたしはお父さんとほとんど口を利かなかくなった。その二つの答えが、同じことを意味していると理解したのは、高校生になってからだった。 冬を前にしたこの時期、ほとんど人の姿はなかった。 あたしは買ったばかりの白いゆりの花束をお母さんの前に供えた。お母さんは娘のあたしから見ても、少女のような人だった。夢見がちで、好奇心が旺盛で、小さないたずらをしてあたしを驚かすのを楽しんだ。それから争いごとを心から憎んでいた。誰かと言い争っているお母さんをあたしは見たことがない。だから癌と戦えなかったのかもしれない。病気に勝つことよりも、受け入れることを選んでしまったのだ。 お母さんの涙を見た日、その日が彼女との永遠の別れの日となった。 「お母さんに会ってきた」 ボイラー室で機器の点検をしていたお父さんは、驚いた様子もなく、平静を保っていた。 「で、お母さん何だって?」 「お父さんに会いたいって。最後に顔見せてあげたの、いつ?」 「ずいぶん前だな」 「行ってあげてよ」 「仕事が忙しくてね。これから本格的に寒くなると休みなんて取れないだろ。何百人もの生徒が凍え死ぬことになるからね」 お父さんの仕事は大学のボイラー技師だ。小さい頃は別の仕事をしていたが、お母さんがいなくなってからずっとこの大学のボイラー室に引きこもっている。薄暗いボイラー室はひんやりしていて、空気が流れない。自分がどこにいるのか分からないような感覚に陥り、過去と現実の境界線が見えなくなる。 「だったら、夏に休み取ればよかったでしょ?」 「夏は夏で忙しいんですよ。植木の手入れとか、細々した仕事があるからね」 「嘘」 「嘘じゃないよ。それに、遠い」 お母さんのお墓は仙台にある。もともとお母さんの両親は結婚に賛成していなかったらしい。両親は娘の墓を実家のある仙台に、と言い張り、譲らなかった。 「それより、どうして突然お母さんに会いに行ったんだ?」 「学祭終わって連休が出来たし、それになんとなく話したくなって」 「何を?」 「別に」 それからお父さんは、ボイラーの点検を再開した。 あたしはお母さんに『彼』のことを話した。たった一回しか会ったことのない、それでもあたしにとって特別な『彼』 のことを。お母さんは黙って聞いていた。それから言った。 ――全ての出会いには意味があるのよ。 (千葉美鈴・著)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||